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1-11 休養日のDinner


休養日のDinner


 翌日、おれは昼近くまでベッドの中にいた。人生初の二日酔いって奴
と戦っていたといえばまだ聞こえはいいかも知れないが、本当は布団か
ら這い出した途端にまた絶え間ない脳味噌ジェットコースターに乗せら
れるのが怖かったからだった。
 ただ、朝にAIに薬もらって昼にはだいぶ頭痛は収まったので、おれは
起きだした。いつまでもベッドの中にいれるわけもないしね。
 梅茶漬けとお浸しという胃に優しそうなブランチを済ますと、おれは
またソファに横になった。AIが煎れてくれたお茶を時折すすり、外の風
景をぼぉっと眺めた。こんなにゆったりと時間が流れるのは久々だった。
 ベランダに出て太陽の光を浴び、春の風を吸い込むと生き返った気が
した。このまま日課にしてたランニングや投げ込みをすれば、いつもの
調子に戻れるかも知れない。ベランダで屈伸運動してたおれをAIはじっ
と見守っていた。
「なんか、あるの?」
「はい」
 何が?、は聞きたくなかったが、そういうわけにもいかんよな。
「優先順位1のフォルダに、2通の新規メールが届いております」
 早く言えよ!、という言葉を言いかけて思いとどまった。AIはAIなり
に気を配ってたのかも知れないと。
 優先順位1のフォルダには、3人しか登録していなかった。行徳おじ
さんと、イワオと、みゆきだった。
 居間のソファに戻ると、メーラーの該当フォルダが既に大画面で表示
されていて、みゆきとイワオから1通ずつ届いていた。
 内容は、2人とも同じだった。
 みゆきからのが、
『二緒議員に紹介してもらえない?とても大切なお願いがあるの』
 その数時間後くらいにイワオから着てるのが、
『二緒議員に紹介してもらえないか?みゆきが何かやらかす気だが、お
れじゃ止められなかった。至急連絡乞う』
 着信は両方とも昨夜だった。
「かあさん、これ、どう思う?」
「紹介依頼は合法ではありますが、二緒議員との面談を望む方の数は数
え切れません。昨日の任命式典後に、各抽選議員の電話連絡先も公開さ
れたのですが、二緒議員は昨晩だけで百万件を超える着信を受けました」
 ・・・今さらなんだが、違う世界の人だな。
「フィルタリングをかけた後の件数は?」
「電話だけでも五万件を超えますが、実際に二緒議員が音声で会話され
るのはその一万分の一もいないでしょう」 
 つまり百万分の五、二十万人に一人の確率か。しかも当てずっぽうに
掛け続けたとしても、その中に含まれる可能性を高めてはくれない。フィ
ルタリングにかかった件数を増やすだけだ。
「二人から電話着信はあった?」
「南さんからは二度ほど」
「どうして起こしてくれなかったのさ!?」
「南さんから切られましたので」
 AIを責めても始まらない。
「こっちからかける事はできる?」
「はい」
 AIは例のマネキン人形をテーブルに置くと、それは瞬時にみゆきの姿
に変わった。泣きはらしたのか、目は充血し、目の下にはひどいくまが
出来ていた。髪の毛もぼさぼさだった。
「おい、みゆき、聞こえるか?」
 しかしみゆきのミニチュアは、応えなかった。
「かあさん、これつながってるんじゃないの?」
「つながってはいますが、通話を拒否されている状態です」
「ばかな!だって話があるのはあいつの方だろ?」
「あまり平常なご様子には見受けられませんので、気付かれてないのか
も知れません」
「くそっ!ならメールだ!かあさんキーボード出して」
 テーブル上に仮想キーボードが表示され、おれはみゆきからのメール
に返信した。
『紹介はしてやる。だけど、その前に理由を教えてくれ』
 メールの着信は、みゆきの携帯のバイブで本人に気がついてもらえた
らしい。みゆきはおれからのメールに間を置かずに返信してきた。
『ありがとう、タカシ君。でも、理由はまだ言えないの。勝手なお願い
なのはわかってるけど、ゴメン。後でちゃんと説明するから、二緒さん
に紹介して!』
 その後も、おれとみゆきは、短いメールを交互に返信しあった。
『紹介するにしても、用件も分らないんじゃ、紹介を受けてもらえない
かも知れないだろ?二緒さんに会いたいって人は何十万何百万っている
んだから』
 おれ自身、その行列待ちを十年以上して、結局会えなかった一人だった。
『たぶん、会わせてもらえれば、どうしてだかは知ってると思う。だか
ら、お願い。今は、これ以上聞かないで』
『どういうことなんだ?おれには全然話が見えん』
『タカシ君、お願い。本当にこれは、私の一生のお願い。お願い・・・。』
 最後には、泣き顔の顔文字が画面一杯に並んでいた。
 これ以上押しても返事さえ返ってこなくなりそうだったので、おれは
一歩退いてみた。
『わかった。紹介はしてやるが、いつ会えるかは分らんし、会えないか
も知れない。それでいいな?』
『うん、ありがと、タカシ君。』
 メールのやり取りが終わると、人形は元のマネキンに戻ったが、その
直前まで携帯に何か繰り返し打ち込んでは消していた。
 EL絡み、とは想像できた。だが、市販されてない物だし、二緒さんに
会ってどうしようって言うんだ?
 おれは次にイワオに連絡した。マネキンはユニフォーム姿のイワオへ
と変化したが、どうやら練習中の様だった。
「イワオ、おれだ、タカシだ。今話せるか?」
「タカシか?ああ、ちょっと待ってくれ。コーチとかにはちょっと事情
を説明してあるんでな」
 イワオは周囲に何度も頭を下げて、離れた所にいる誰かに近づいてま
た何かを繰り返し謝り、そこからまた離れてやっと落ち着いた。
「待たせたな。いや、みゆきの事なんだが、もうあいつと話したか?」
「話したというか、メールなんだが、とにかく二緒議員と会わせてくれ
の一点張りでな。理由も言えないって、何か追い詰められた感じだった
んだが、どうしたんだあいつ?」
 イワオは、周囲に誰もいないのを確かめるように見渡してから小声で
言った。
「落ち着いて聞いてくれ、たぶん無理だとは思うが」
「わかった、努力はする」
「あいつ、おれの子供を妊娠してるらしいんだ」
 おれは、口をぽかんと開けた。もし目の前でおれのミニチュアを見て
たら、なんて間抜け面だと笑ってたろう。
 イワオの子供?!
「お、お、お前ら・・・」
「落ち着いてくれと言ったって無理だよな。逆の立場なら、おれもそう
だったろう。けど、今は聞いてくれ。おれはそう聞かされて、それがも
し本当なら、ちゃんとしよう、って言ったんだ」
「もし本当なら、ってお前あいつを疑ったのか?」
「おれだって疑いたくなんてない。だけどな、おれとみゆきが、その、
したのは、一度だけだし、ちゃんと避妊だってしてた筈なんだよ」
「筈、か・・・。穴でも開けられてたか?」
「笑いごとじゃすまされんが、今更確かめようもないさ。おれだってあ
いつが嘘をついてるなんて考えたくない。けれど、確かめて本当にそう
だったら、おれだって男さ。ちゃんと責任は取る!」
「ん、まぁ、それはとりあえず置いておこう。あいつが二緒議員に用事
があるって言ったら、たぶんEL絡みくらいしか考えられんが、お前は何
か聞いてないのか?」
「その、二人で初めてした晩に、持ちかけられて、断って、それっきり
だな。ELの話は」
「ふむ。で、お前は二緒さんに会ってどうしようって言うんだ?」
「もしかしたらおれの子供を妊娠してる女性がEL絡みの願い事をしてく
るだろうが、それを断ってくれと頼むつもりだ」
 これはこれで、まともと言えばまともな反応なのか?
「もし、みゆきの願いが、お前とみゆきの間の関係の固定化だったら、
お前はまだ断るつもりか?」
「ああ。もしあいつが妊娠してるってのが本当で、それがおれの子供な
ら、ELなんて無くてもおれはあいつと子供をとことん大事にするさ。そ
れは絶対に間違い無い」
「ま、そうするだろうな、お前は・・・」
 けど、もしもあいつが妊娠してなかったら?
 何の為かはわからないけど、イワオの気持ちを確かめる為にカマかけ
ただけで、反応に絶望していたら?
 本当に妊娠していて、でもイワオの子供じゃなかったら?(これは一
番有り得ないと信じたいが)
「だいたい、状況は分かった。おれは、お前もみゆきも、二緒議員に紹
介してやる。っていうか、口ききまでがおれのできることだ。本当に会っ
てもらえるかどうか、話を聞いてもらえるかどうかはわからんぞ。それ
でいいな?」
「ああ。助かるよ。じゃあ、頼む。また何かあったら連絡くれ」
「ああ。それじゃまたな。練習がんばれよ」
「言われなくても、な」
 イワオはその場から駆け出し、ミニチュアはマネキンに戻った。
 おれは冷めた茶をすすり、溜息をついた。
「どうしろって言うんだ、って結論は出てるか。かあさん、二緒さんの
スケジュールはわかる?」
「今問い合わせをかけています。しばらくお待ち下さい・・・。本日は
夜までNBR社にいらっしゃるそうですが、もし夕食を一緒にという事で
あれば、夜8時以降なら調整可能とのお返事を頂きました。それでよろ
しいですか?」
「ああ、頼むよ。ついでに、好きな花でもあれば聞いておいてくれ」
「わかりました。・・・アポイントメント取れました。本日午後8時に、
この議員宿舎の二緒議員の部屋までお越し下さいとの事です。花は、
赤い薔薇、まだ蕾のものをご希望です」
「了解したと伝えてくれ」
「・・・お伝えしました」
「で、花は手配できる?」
「問題ございません。費用は議員給与から差し引く形で支払ってよろし
いですか?」
「ああ、よろしく」

 おれはソファーの手すりに頭を載せて目を閉じた。深呼吸を繰り返し
て、ドッドッドと動悸し続ける胸を落ちつけようとした。五分ほど試し
てみたが、効果が無かったので、おれはそのまま床に転がり落ちて腕立
てを始めた。
 ずっと、ずっと、この機会を待っていた。NBR社宛てで今までに送っ
たメールは千通を超える。三分の二くらいは小学生の間に、残り三分の
一くらいは中学生の間に、高校になってからは、一年に一通くらいしか
送らなくなっていた。
 行徳おじさんのツテでお願いした事もあったが、一度も良い返事をも
らった事は無かった。
 それが、こんなにも簡単に会う約束が取れてしまった事に違和感が無
いでもなかった。しかも元はと言えば、二緒さんからの夕食の招待だった。
「なんか、いっぱい食わされるのかな?」
 自分自身でも笑えない冗談だった。

 それから午後の間は、何を着ていくか迷ったり、子供の頃からNBR社
について調べた事を復習して過ごした。

 Nano Bio Robotics.co、略してNBR社。史上初めて三度のノーベル賞
を受賞した天才科学者ポール・K・ブリンガーと、二緒篤子(律子の母
親)、ジャクソン・ハート(二緒篤子の夫で、律子の父親)の三人を中
心に設立されたトライアングル社を前身とするナノ・バイオ・ロボット
事業の先駆者にして他の追随を許さない超々巨大企業。
 ナノ・バイオ・ロボット技術を特に医療分野に関して発達させ、二度
のLV災害を収束させる製品を開発し、算定不能とも言われる天文学的な
収益を上げてその地位を不動のものにした。
 記憶読取装置(MR:Memory Reader)や感情固定装置(EL:Emotion
Locker)という脳関連技術製品の開発や製造でも他の追随を許さず、AI
の開発や製造も関連企業の買収を繰り返し、世界最大のAIメーカーでも
ある。ただ、これはもっぱら自社で利用するAIを全て社内で開発・製造・
管理できるようにするためというのが世間の見方だった。
 全人間社員のAIへの置換で世界の先陣を切り、著しい開発力と競争力
の低下が懸念されたものの、それは落ちるどころか加速の一途を辿って
いる。
 二緒律子は、七歳の時の誘拐事件後、アメリカから日本に居住地を移
した。十二歳の時に二度目の誘拐事件に会い、その翌年には両親の乗っ
た車が爆破テロにあってNBR社を継いだ。その爆破事件と前後してNBR社
の中枢研究員達が次々と謎の失踪を遂げたが、LV2を収束させ、その後の
NBR社の舵取りをこなし続けている。
 おれの父親は、ポール・K・ブリンガーとは研究仲間だったらしく、
トライアングル社設立時から参加し、母親とはNBR社時代に社内で出会
い、結婚し、おれが生まれた。そのポール・K・ブリンガーも両親とほ
ぼ同時期に失踪し、行方は誰も知らない。
 NBR社の技術開発をの中核を担っていたポール・K・ブリンガーやその
他数百人に及ぶ技術者達の謎の失踪事件に限らず、MRやELの開発や販売
などに絡んで、世界中で常に賛否両論にさらされている企業でもある。
しかしLVの脅威への対策や、各国政府への税金や有力議員への献金、国
際的な非営利団体への資金援助、世界中の有力企業の議決権を確保して
いる事などもあって、誰も手出し出来ない存在として畏怖されてもいる。
 そんな企業のトップとして世界に君臨し続けているのが、二緒律子と
いう人物だった。社長就任の翌年に本社機能をアメリカから日本に移し
たのだが、相次ぐ大震災とLV2で皇族の大半を含めた数百万の犠牲を出
した日本にとって、まさに救いの光明をもたらした。その圧倒的な資金
力を復興に継ぎ込み、その後の無税金政府の活動資金の最大のスポンサー
でもあり続けた。その引き換えに、NBR社は全資産の公開などの義務を
負わず、従って二緒さんの総資産は抽選議員となった今でも非公開情報
となっている。役員制度などの、一般企業に対して課せられている義務
の大半もNBR社には免除されている。

 いわば、世界中の国と企業と人々から例外扱いを受けている特別な存
在。それがNBR社であり、その代表である二緒律子という人物だった。

 それだけの人にプライベートで会えるというのに、たった一輪の花し
か持参しないというのはこころもと無かった。
 今から何か贈り物をさがしに出かけるには時間が無かったし、そもそ
も買えるようなプレゼントを受け取って喜ぶような立場にいる人じゃな
い。
 何を着ていくか考えていた時、高校時代の野球部のユニフォームを体
にあてて、あり得んだろと却下したものの、閃いた。あの最後の試合に
被っていた野球帽を持っていくことに決めた。服装はさんざん迷った挙
句、TシャツにGパンという無難なものにした。

 夕焼けがのろのろと濃紺の夜空に取って変わられて、自分のメールボッ
クスに貯まった一万件以上のメールを適当に眺め続ける内に、ようやく
時計の短針が8に近づいた。  

 ワンフロア下にある二緒さんの部屋の前まで行き、呼び鈴を押すと、
ピンポーンという変哲も無い音が部屋の中から響き、インターホンから
二緒さんの声が返ってきた。

「待ってたわ、入ってちょうだい」

 ドアが内側から開き、そこに待っていた二緒さんのAIが、おれとおれ
のAIを中に招き入れてくれた。
 室内には、おれに与えられたのと同じ間取りと家具が整然としつらえ
られていたが、あまりここで生活しているような印象は受けなかった。
 食卓には二人分の夕食が並べられていて、キッチンにはエプロンを着
けた二緒さんの後姿があった。全世界数億の独身男性達がうらやむだろ
う光景に、おれは立ちくらんだ。
「かけて待ってて。いま、お味噌汁ができるから」
「あの、お気遣いなく」
「いいえ。このくらいは使わせてちょうだい」
「はぁ・・・」
 ふと脇を見ると、そこには議場で二緒さんに付き添っているのとは別
のAIが控えていた。そのAIは、おれが持ってきた薔薇を受け取ると、食
卓に用意されてた花瓶に活けた。
「あの、このAIは?」
 二緒さんは、味噌汁の味見をしながら答えた。
「ああ。彼は私個人の秘書で、NBR社全体を切り盛りしてる大番頭よ」
「このAIが、年間何十兆も・・・?」
「そうよ、すごいでしょ?NBR社の事で、彼が知らない事はほとんど無
いわ」
 二人の間に静寂が降りた。
二緒さんは電熱コンロを止めて、味噌汁を二つのお椀に盛り、食卓に添
えた。
「さ、食べましょ」
「は、はい。いただきます」
 食卓のメニューは、鯖の味噌煮込み、大根のサラダ、漬物、味噌汁
にご飯と、世界一富裕な女性のイメージとはどれも結びつかなかった。
 味は、分からなかった。不味くはなかったと思う。
 ただ、このAIが、両親の行方を知ってるかも知れないと思うと、何度
となく目が行くのを止められなかった。
「お口に合わなかったかしら?」
「と、とんでもない!どれもオイシイですよ!」
 AIの方を見ていたおれは、強く否定しようとして、味噌汁が入ってい
たお椀に手をぶつけてこぼしてしまった。
「イチロー」
 声をかけられたNBR社の大番頭AIは、さっと大布巾を取り出すと、さっ
さとテーブルの上下に散らばった味噌汁を拭き取り、お椀を片付けにキッ
チンに姿を消した。
 おれのAIも傍によってきて、身体に異常が無いか確かめて、また引き
下がった。
「すみません。せっかく作っていただいたのに」
「いいのよ。何を食べても飲んでも、今は味なんてわからないんでしょ
うから」
 顔が火照った。
「でも、先に聞かせて。あなたが野球をしていたのは、ご両親を探した
かったから?有名になれば、二人が戻って来てくれると思ったから?」
「そうです。でも、結局は無駄に終わったみたいですけどね・・・」
 自分が甲子園の星と騒がれていた頃、インタビューを受ける度に、お
れはそういった境遇や動機を隠さずに答えていた。しかし結局今に至る
まで、両親から一通の頼りを受け取る事も、再会する事も無かった。偽
者からの連絡は数え切れないほどあったけれど。
「イチロー。白木武雄、光子夫妻に関して、NBR社に残っている記録を
話してあげて」
 キッチンで布巾とお椀を洗って消毒殺菌機に入れたAIは、二人の脇に
戻ってきて話し始めた。
「白木武雄。脳生理学と心理学の博士号を持ち、1995年にNBR社の前身、
トライアングル社に入社。2000年のNBR社設立にも大きく貢献。
 白木光子。旧姓、縁手。2004年からNBR社に入社。ナノ・ロボテイク
ス技術の主任研究員として活躍。
 お二人は2007年からMR:記憶読取装置の開発プロジェクトで顔を合
わせ、2009年には挙式・入籍されています。同年末、光子氏は男子を出
産されました」
「ぼくのことだね?」
「はい。先を続けてよろしいですか?」
「お願いします」
「お二人は三ヶ月ずつ、育児休暇を交替で取られました。MR開発が佳境
に入っていたので、お二人で完全に長期休暇を取るのは難しかったよう
です。
 お二人が中心的役割を果たしたMRは、2010年に製品化されました。
 白木武雄氏は同時期、ELの可能性について並行して研究されていた
ようで、ポール・K・ブリンガー氏と妻の光子氏の協力を得て、ELの試
作品を開発されました」
「・・・知らなかった。父さんと母さんが、そんなに深くMRとELの開発
に関わっていたなんて」
「あなたはまだ生まれたばかりだったしね。それに守秘義務があったか
ら、他のご家族や知人達にも、自分達が何を開発していたかは話されて
いなかった筈よ」
「ええ。親戚やぼくの養父を含めて、ぼくの両親がどんな仕事をして
いたのか、誰も知りませんでした」
「できれば、あなたにも秘密を守ってもらいたいのだけれどね」
「努力してみます・・・。イチローさん、続けて下さい」
「では続けます。
 NBR社では、MRの生産とELの開発と研究を継続していました。
 しかし二度のLV災害の折に、体内のウィルスと感染した体組織を攻撃
して消滅させるナノ・バイオ・ロボットの開発と研究が最も重要な緊急
業務となり、その体制は現在でも変わっていません」
「父さんと母さんは、なぜ会社を辞めたんですか?」
「分かりません。会社の従業員は順次AIに置き換えられていきました
が、お二人は開発陣の間でも要職を占められていました」
「二人からは、その、辞表とか無かったんですか?」
「ありませんでした。お二人は、突然失踪され、会社には二度と戻られ
ませんでした」
「会社は、二人の捜索願いは出してくれたんですよね。でも、それ以上
は・・・」
「警察にお二人の捜索願いを出しました」
「それだけですか・・・!?」
「もちろん、探したわ」
「本当ですか?」
 おれの疑いの眼差しから、二緒さんは目をそらさなかった。
「考えてもみて。あなたのご両親ほど、会社の中核技術を担ってきた人
が突然いなくなったら、あなたは誰をまず疑うの?」
「ライバル企業とかですか?」
「金で釣れなければ、強引に連れ去って、それこそ脳の中身をMRにかけ
れば、企業秘密なんて無いも同じよ」
「ということは、二人ともどこかに連れ去られたんじゃないですね?」
「どうしてそう思うの?」
「さきほどのお話から、ぼくの両親がどんな仕事をしていたのか、外部
に知る人はいなかった筈です。そして二人が姿を消してからも、MRやEL
やナノ・バイオ・ロボットの世界シェアは、NBR社が独占し続けていま
す・・・」
「つまり、二人は営利目的で誘拐されたわけじゃないと、そう思うわけ
ね?」
「思うというより、ただの推理です」
「で、名探偵さんは、二人がどうしていなくなったと推理するのかしら?」
「あの、申し上げにくいんですが・・・」
「何?」
「AI達を遠ざけて頂けませんか?」
「あら、その気になったの?」
 二緒さんは、胸元を少しはだけてみせた。
「ちがいます!ただAI達に会話を記録させたくないだけです!」
「あら残念。それじゃあなた達、部屋の外で待ってて頂戴。用事があれ
ば扉を開くから」
 二緒さんのAI2体は、部屋から出ていった。
「白木君、あなたのAIは、あなたの命令しか聞かないわよ」
「かぁ・・・、いや、外に出て待ってるんだ」
「はい、ご主人様」
 おれは、全てのAIが部屋の外に出たのを目で確認してから、テーブル
に戻った。
 二緒さんは、食卓の上を片付け、コーヒーを炒れて、カップを二つテー
ブルの上に並べていた。
「それで、どんなお話かしら?」
「とても、個人的なお話で、その・・・」
「言ってみて」
「二緒さんの12歳の時の事件に、ぼくの両親が何か関係していたって事
は無いんでしょうか?」
 二緒さんは、コーヒーを一口、二口とすすってから、答えた。
「どうしてそう思うの?」
「二緒さんを襲った2度目の誘拐事件は13年前に起きました。そしてぼく
の両親はそれから1年以内に失踪してます。
 2人の失踪と前後して、NBR社は人間の従業員を解雇し始め、今では社
長以外の社員はほぼすべてAIに置き換えられています。雇用提供法など
から考えたら、人間を雇った方が税制などで優遇措置が与えられるよう
な職種まで全て・・・」
「NBR社のトップが、極度の人間不信に陥るような何かがあった。そう
推理するわけね?」
「すみません。でも、ぼくなりに両親の失踪を調べてきて、他にきっか
けになりそうな事件は見当たらなかったんです」
 二緒さんは再びコーヒーをすすってから答えた。
「それで、名探偵さんは、どんな答えを望んでいるの?」
「真実を」
「あはは、軽く言ってくれるわね。真実か。あはははは」
 おれはムッとした。
「ぼくは真剣に聞いてるんです。まじめに答えて下さい!」
「あはは。笑って悪かったわ。でも、そうね。あなたに真実の重みを受
け止める覚悟はできていて?」
「一つ、聞かせて下さい。ぼくの両親とあなたは、面識が有ったんです
か?」
「有った。そう答えれば満足してもらえるのかしら。違うわよね?」
 二人の間の空気が張り詰めた。
「二緒さんが最初に誘拐された時、解放される為に支払われた身代金は
5億とも10億とも伝えられていました。二度目はそれより遥かに多くが
要求されていたとしても、おかしくありません」
「あなたのご両親がお金に目がくらんで私を売り渡した。筋書きとして
は安過ぎるわね。あなたのご両親は経済的にかなり裕福だったのよ」
「じゃあ、一体・・・?」
 二緒さんは、コーヒーをさらに一口、二口と飲み下してから、言った。
「自分の子供と、他人の子供。どっちが大切かしらね・・・?」
 呼吸も、心臓の鼓動も、止まった気がした。
 まさか、そんな・・・。おれの為に・・・?
「でも、ぼくは誰にも誘拐されたことなんて・・・」
 二緒さんは、両手でカップをもてあそびながら言った。
「ご両親に罪があったとしても、その子には罪は無い。そう思わなくて・・・?」
 口の中がひりつくくらいに乾いていた。
 口をつけていないコーヒーカップを手に取ろうとして、カップとソー
サーがカタカタと音を立てた。どうにか一口すすってからは、こぼさず
にカップをテーブルに戻すことに集中した。
 他に何も考えられなかった。考えたくなかった。
 二緒さんは、おれの手がカップから離れたのを見届けてから、言った。
「記憶を消す技術は、当時から有ったのよ」
 目の前が音を立てて崩れていくような錯覚を覚えた。目の前が真っ暗
になっても、二緒さんの眼差しだけは、自分を捕らえて離してくれなかっ
た。
「私は、文字通り陵辱された。その時の様子は、今だってネットの片隅
にいくらでも転がっているわ。あなたは、見た?」
「い、いいえ」
「そう。でもあなたが見てようと見てまいと、私は、私を売り渡した相
手を許すつもりは無かった。そして、許さなかった・・・」
 二緒さんの体が小刻みに震え、テーブルの上のカップがかたかたと鳴っ
ていた。憎悪という名の生ける彫像みたいだった。
「あの事件、犯人はまだ捕まってないことになってるけど、当然ね。個
人的に、処理しちゃったから」
「個人的に、処理・・・?」
「具体的にどうしたか、聞きたい?」
 おれは首を横に振った。
「そう、残念」
 二緒さんはコーヒーの残りを飲み干し、お替りを注いだ。
「それで、まだ聞きたいことはあるの?」
「二度目の誘拐の時、どうやって犯人達を見つけ出して、どうやって助
かったんですか?」
 これは、世界で一番有名な誘拐事件でもまだ解明されていない謎の一
つだった。
「いい質問ね」
 コーヒーをさらに一口、二口とすすってから、二緒さんは答えた。
「そうね、正義の味方が現れて、助けてくれたとでも言っておこうかしら」
「え・・・?」
「ふふ、詳しく知りたい?」
「い、いえ、結構です」
「そう。でも、あなたのご両親がどうなったのかは、知りたくないの?」
「それは・・・」
「白木君が五歳の時に突然いなくなってしまったご両親の事、ずっと探
してたんでしょう?NBR社にもずっと問い合わせて来たんじゃない?その
答えが目の前にあるかも知れないのに、ためらうの?」
「知りたくないって言えば嘘になります。けれどぼくのせいで二緒さん
が非道い目にあってしまったなら、お願いなんて・・・」
「そう。でも、あなたはなんで今日、私にアポを取ってきたか覚えてる?」
 動転してすっかり忘れ去ってた。
「南みゆきさんと、大石巌君からのメール、ちゃんと確認してあるわ。
まだ返事はしてないけど」
「ど、どうしてです?だって面識も無いのに、数十万件の中からどうやって?」
「私ね、あなたの事、ずっと見守ってたの。だってご両親を取り上げちゃ
ったんだから、私が見守ってあげないといけないじゃない?だから、隆君
の交友関係も学業も部活動とかも、全部把握してるの」
「・・・みゆきは、二緒さんに言えば自分の事がわかってもらえる筈だ
とか言ってましたけど、なんでですか?」
「彼女ね、ELの治験者に応募してきてるの」
「治験?」
「新薬の販売前の臨床試験と同じよ」
「応募してきた理由はご存じなんですか?」
「それは応募者に対する守秘義務で教えてあげられないわ」
 二緒さんに対する罪悪感が消えたわけじゃなかったが、ここで引き下
がるわけにもいかなかった。
「あいつは、イワオの子供を妊娠してるかも知れないんです。イワオも、
みゆきの事を本気で心配してる。もし本当にあいつの子供だったら、イ
ワオは一生かけて子供とみゆきの面倒見てくつもりでいます。だから、
みゆきにELを使わないでやって下さい、お願いします!」
 おれは頭を下げたが、聞こえてきた声は冷たかった。
「本気で心配してるんだったら、どうして野球の練習なんて放り出して
探しに行かないのかしら?」
 言い返せる言葉が見つからなかった。
「それに、お腹の子供が自分のじゃなかったら、母子ともども面倒を見
る義理は無いって言うんでしょう?一度は自分の命を救ってくれた相手
なのにね・・・?」
 冷汗が額を伝った。
「隆君は、ELの市販に反対だったわね?」
「はい。でも、もし二緒さんが意見を変えてくれって言うんなら・・・」
「早とちりしないで。そう、これは例えばの話よ。ある女の子が、誰か
の子供を身籠って、でも誰にも頼れなくて、自分一人で育て上げる自信
も無くて、でもパブリックチルドレンとして供出してしまうくらいには
割り切れ無くて、だから、何があってもこの子供を愛し続けられるよう
に、って自分の感情にロックをかけようとしてたら、あなたはそれでも
反対するの?」
 おれは、頭を下げたままテーブルを見つめ続けた。答えが、見つから
なかったから。
「私は、世の中の全ての人間にELをかけてしまえたらと思ってるの。私
が味わったような屈辱をこの世から無くせるなら、どんなにいいだろうっ
て!でもね、ELがその逆の目的に使われてしまう危険性は私だってわかっ
てる。あの屈辱から永遠に逃れられなくなるなんて、想像できないし、
したくない」
 やっと顔を上げてみると、二緒さんの顔は青ざめていた。コーヒーを
何度か口に含んで、深呼吸をして、自分を落ち着かせるように二緒さん
は言った。
「世の中には、正しい事と間違ってる事だけじゃないの。どちらでもあっ
て、どちらでもないものを、私達は選択していくの。それしか、私達に
は出来ない」
「・・・ぼくに、何か出来ることは無いんですか?その、二緒さんの為
に・・・」
「一つ、取引をしましょう。私は、南みゆきさんにも大石巌君にも会う。
その場に隆君、あなたもいてくれていいわ。けど、ELをみゆきさんの望
みどおりに使うかどうかは、彼女と私で決める。それでいいわね?」
 おれはうなずいた。
「その見返りとして、私があなたに求めるのはたった一つ。あなたが中
目零那に渡した指輪が欲しいの」
 二緒さんは、顔を赤くしたり青くしたりしながら、おれから目をそら
した。
「あ、あの・・・、それって、ぼくと婚約っていうか、結婚したいって
ことなんですか?」
「べ、別に、本気で婚約してくれとか、結婚して、って言ってるわけじゃ
ないわ。ただ、あの指輪を私にちょうだいってお願いしてるだけ。勘違
いしないでね!」
「た、確かにまだあの指輪は、ぼくの手元にありますけど・・・。でも、
あれは一度レイナの奴にあげたもので・・・」
 二緒さんは、がっくりとうなだれて、食卓の上の花瓶に活けられた薔
薇を手にした。二緒さんはまだ開き始めてない蕾の縁を指でなぞりなが
ら言った。
「ねぇ、無理やり、されるのって、どういう気分だと思う?」
 そして指を蕾の真ん中に差し入れると、花弁を無理やりこじ開けてち
ぎりとった。ばりばりと、乱暴に、全ての花びらが引き裂かれて散った。
茎を握りしめる手から伝わり落ちた血が、花瓶の水を赤く染めていた。
 おれは、花びらの無くなった薔薇の茎を握りしめ続ける二緒さんに言っ
た。
「指輪を、取ってきます。けれど一つだけ聞かせて下さい。あなたは、
こんなやり方で指輪を受け取って、それで何を得るんですか?」
「あなたの知らない、たぶん知らなくていい、何かよ」
「じゃあ、ぼくからも条件を付けさせて下さい。指輪を渡したら、ぼく
の両親がどうなったのか、教えてもらえますか?」
「あなたが本当に、私に指輪を渡せたら、ね」

 おれは部屋に戻り、書斎の机の引き出しに入れておいた例の小箱を取
り出して、溜息をついた。一度誰かの手にかすめ取られ、持ち主の手に
戻され、また持ち主の意思とは関係無く、別の手に渡ろうとしている。
 確か行徳おじさんとその奥さんはずっとおしどり夫婦だったと聞いた
のに、指輪にとっては災難続きだ。
 指輪は、単なる物だ。しかもおれ自身が誰かに贈る為に買った物じゃ
ない。周りの都合に利用される為に贈られてきたような物だった。
 それでも、一度はレイナの指に嵌めてもらったこいつを、二緒さんに
無断で渡していいのかどうか、迷った。
 ふと、中目に頼んで、こいつの複製を物質変換で作ってもらって、コ
ピーを渡すことも考えたが却下した。セレスティスに一番長く乗り、抽
選議員でもある二緒さんがその手を考え付かない筈が無い。
 コピーであれオリジナルであれ、おれがレイナに渡したという指輪を
二緒さんに渡すかどうか。試されてるのは、その判断だった。

 でも、なぜ?

 首相代行候補選挙の意趣返し?いや、そんなせこい動機が元になって
るとも思えない。おれが指輪を二緒さんに渡したからって、明日の本審
議での投票結果が左右されるとも思えない。現在の状況は、市販賛成派
には不利な状況で、おれと中目が賛成に転じても形成逆転には至らない。

 ELの審議に直接関係が無いとしたら、二緒さんとレイナとの間の私的
な何かしか考えられない。だとしたら、おれが一人で悶々としてたって
答えは出る筈が無い。
 二緒さんの部屋に戻る前に、中目に会う誘惑は強かった。ただ、一人
で判断を下す事も込みで求められていると思ったので、おれは部屋から
出てそのまま二緒さんの元へと戻った。

 AI達は相変わらず部屋の外で待っていたが、テーブルの上はすっかり
片づけられていた。二緒さんは顔を洗ったのか、覚悟を決めたような、
でもほんのり上気したような顔色になっていた。何かを期待して、それ
が確実に受け取れるという喜びを噛みしめている様に見えた。犬に例え
れば目の前で餌の封が切られて尻尾をぱたぱたと振っている状態だろう。
 おれは、二緒さんの向かいに座り、小箱をテーブルの真ん中に置いた。
 二緒さんは、おそるおそる、でも待ち切れなかったプレゼントを受け
取るように、それを胸にかき抱いて、蓋をゆっくりと開けて・・・・・、
おれを睨みつけた。
「私を・・・、馬鹿にしてるの?」
「いいえ、そんなつもりはありません。指輪は、ちゃんと持ってきてます」
 おれはポケットから指輪を取り出して、掌の上に載せて差し出した。
「ただ、おれは思ったんです。婚約指輪って、持ち主の意志に拘わらず
あっちこっちに行ったり来たりするべきものじゃないって」
 二緒さんは、唇を噛みしめていた。
「だから、おれがこれを次に誰かに渡すんなら、ちゃんと、相手からそ
の場でOKもらって、そいつの指に、自分で嵌めてやりたいんです。そう
じゃないと、この指輪を大切にしていた行徳おじさんにもその奥さんに
も、ぼくは顔向けできません」
「それで、どっちなの?私に渡すのか、渡さないのか、はっきりして!」
「二緒さん、あなた次第です」
「え?」
「もしこの指輪をぼくから受け取りたいと言うなら、ぼくと結婚して下
さい。もしそうでないと言うなら、この指輪は渡せません」
「あなたのご両親の話はどうなるの?それにみゆきさんは?」
「もし本当にぼくの両親が二緒さんを襲った悲劇に関わっていたのであ
れば、二人はその報いを受けたのでしょう。生きていれば会えるかも知
れませんし、死んでいるならもう会えないでしょう。
 みゆきの事は、イワオと二人でどうにかします。二緒さん自身が予備
審議で言ってましたよね。解除する装置もあるって。本気で心配してる
なら、野球の練習なんて放り出して当然ですよね。だから、ぼくも明日
の本審議欠席するかも知れませんけど、人の命が一つか二つ、もしかし
たら三つかかってるかも知れないんだから、許してもらえますよね?
 どの道、抽選議員なんて任期一年なんだし、再選もありませんしね。
ただの学生に戻りますよ、懲戒されたら」
 二緒さんは、口をぱくぱくさせていた。言葉が出かかってるのに出て
こないみたいな。やっと出てきた言葉は、
「私次第だと言うのね?」
「はい」
 二緒さんは、顔を真赤にして、左手をおれの掌に重ねて、指輪を握
りしめた。
 どれくらいそのままじっとしていたろうか。
 二緒さんの手がゆっくりと引き戻されていった時、おれの掌には指輪
が残されていた。
「二緒さん・・・」
「無理矢理、って良くないよね、やっぱり・・・。わかってたのに、
ごめんね」
 二緒さんは席を立って背中を向けて言った。
「せっかくもらった薔薇もひどいことしちゃって、ごめんなさい」
「いえ、それより、忘れてたんですけど、これを・・・」
 おれも席を立って、Gパンの尻ポケットに入れっ放しだった野球帽を
抜き出して形を整え、二緒さんの頭に被せた。
「隆君・・・」
「それ、大事にして下さいね。今までどんな人からねだられても、あげ
なかったんですから」
「うん、大切にするね。私の宝物にする!」
 二人の目が逢って、なんかドギマギするような雰囲気が流れたので、
おれは慌てて言った。
「そ、そろそろぼくは部屋に戻りますね。明日の準備もしなくちゃい
けないし・・・」
「あ、待って。みゆきさんの事だけど、ちゃんと会うわ。その席に、隆
君も彼氏さんも、そして中目議員にも同席してもらうわ」
「イワオは当事者としても、どうして中目も?」
「パブリック・チルドレンとしても、ELを受けてる人としても、決して
無関係な人じゃないわ」
「分りました、二緒さんがそう言うなら」

 そうして部屋の出口まで見送られた時、ふとした疑問が浮かんだ。
「そういえば、いろんな人が、ぼくに中目零那を頼むって言うんですが、
二緒さんは言わないんですか?」
 二緒さんは眉を吊り上げて、おれの頬をぎゅうっとつねりながら言った。
「私は、逆よ。あなたを中目零那に任せたくなんてないの」
「え!?それってどういう意味ですか?」
「バカ!」
 そのままおれは二緒さんの部屋から追い出されてしまい、AIと自分の
部屋へと戻った。時計の針は両方とも天頂を指そうとしていた。このま
まベッドに直行したかったが、みゆきにもイワオにも、どうなったか知
らせておかなければいけなかった。
 例のマネキン人形をテーブルの上に置き、AIに接続先を伝える直前に、
それは中目の姿に変わった。
「どーいうタイミングだ?」
「いくつかの手間を省いてあげようと思ってね」
「全部聞いてたってのか?」
 中目は黙って、手元にあるのだろうマネキン二体を瞬時におれと二緒
さんの姿に変えた。もちろん、それぞれが現在の状態を反映していた事
は言うまでもない。そして初めて、何故これが国家機密なのか、その理
由がおれにもようやく呑み込めた。
「それ、誰にでも出来るのか?例えばおれにでも?」
「無理。接続先の識別子がわからないといけないから。AI達はそれを私
に問い合わせて、通信を接続させているの」
「じゃあAIが奪われたりしたらやばいんじゃないのか?」
「単純な中継器だけを奪っても意味は無い。識別子は付属する情報が刻
一刻と書き変わる。その情報把握ができるのは私だけ」
「パソコンのハードとOSみたいな関係か?」
「誤解を恐れずに言えばそうなる」
「で、省いてくれた手間って何だ?」
「南みゆきは、すでに人口管理局で保護している。大石巌にも連絡済み」
「保護って、手荒な真似なんてしてないだろうな?」
「母体の精神は不安定な状態にあったが、今は安定している」
「母体って、妊娠はしてるってことか・・・」
「そう」
「お前に聞く事じゃないかも知れんが、父親はイワオなのか?」
「それは、南みゆき本人にあなた自身から聞くべき事」
「分った。そうさせてもらう。いろいろありがとよ」
「礼には及ばない。レイナが感謝していた。私からも礼を言う」
「感謝って、もしかして指輪の事か?」
「あなたが私にコピーの作成を依頼しに来ていたら、私は断っていた。
あれは、あなたの判断に完全に委ねられていた」
「はは、もしかして、今回のもお前とレイナとの賭けだったりしたのか?」
「そう。そしてレイナは勝った」
「一つ聞かせてくれ。なんだってレイナとお前は賭けをしてるんだ?そ
れに何を賭けているっていうんだ?」
「それは、いずれレイナから話すだろう。私からは話せない約束になっ
ている」
「分った。楽しみにしてると伝えておいてくれ」
「ああ。それではお休み、白木隆」
「お休み、中目零那」
 通信が切れる間際、中目の表情が、少しほころんだように見えた。  


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